北京 レポート

世界遺産 地下宮殿

定陵 地下宮殿

地下世界へようこそ

さて、やっと 明の十三陵 へ行く事に。

明の十三陵は、中国版王家の谷などと形容されるらしく、明代の皇帝陵墓が13代に渡って存在するとの事。
「明・清王朝の皇帝墓群」として、世界遺産にも登録されている。
今回は発掘されて地下宮殿として公開されている定陵を訪れた。

さて、陵墓自体は建築物や位牌(世界最大の位牌がある)の存在から、大体の場所がわかるようになってはいるようなのだが、その入り口の詳細な位置はわからないようになっているものらしい。
賊や墓荒らしから陵墓を守る為なのだそうだ。

定陵が発掘されたのは、その位牌の位置から近い場所で、墓の位置を指し示す石板が発見されたからという偶然によるものらしい。
現在は、出口を出た所にその石板の位置を示した表示がある。

さて、地下宮殿と称される陵墓の入口では、手荷物検査があります。
もはやおなじみのX線装置を通すが、つい「この装置から結構被爆するんじゃなかろうか?」などと思ってしまう。
ま、大した事は無いと思うのだが、整備がずさんだったりするような気もするので、なんか不安だ。

さて、階段でどんどん地下へ降りていくと、本当に明代に作った空間なのだろうか? と思ってしまう石作りの結構な広さの空間が現れる。

5つの部屋を持ち、総面積は1195平米だとか、360坪程度という事になる。地下数十メートルの所にこんな部屋を作り上げるとはすごい事で、ピラミッド建築同様に、人類の残した驚異の産物と言えるのではないだろうか?
そんなすごい建築物ではあるのだが、この墓に埋葬されていた明代の第13代皇帝、万暦帝 神宗 朱翊鈞 は、愚かな皇帝であったようで、政治に関心を持たなかったらしい。

皇帝も13代目となるとそんなもんなのか。立派な墓があっても、評価が低いんじゃ、なんだか浮ばれない気がした。
ちなみに、この王の位牌が世界最大の位牌らしいのだが、功績を書かれるべき位牌の裏側は真っ白で何も書かれていない。
次の皇帝が、彼には何の業績も無かったとして何も書かなかったのだそうだ。

ああ、無常。

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